アタシが小学生の頃に住んでいた家の近所に吉田商店という小さなスーパーがあったの。
小学生ってことは・・・やっだぁ~35年くらい前のお話。まだコンビニも無く、自販機も少なくってね、夜9時閉店だったかしら?深夜にジュースやコーラが飲みたくなった時の為によく閉店間際に走らされたの。うっかりその時間が過ぎればお茶で我慢。
勿論急須で淹れるお茶よ。お茶が出るのを待ちながらピンクレディーの振り付けを一曲マスターしたりして・・・。ジュースやコーラも美味しいけれどお茶の方が香りも良く身体にも良いなんて、無理やり納得させられながら飲んでたわ。そして母はお茶殻を畳に撒いて掃き掃除。
なんだか、お茶と共に昭和の香りのするお話でしょう?エコなお話でもあるし。
でもね、ここで感じていただきたいのは“待つ”ということ。
今やコンビニがあちこちに有り24時間あらゆる物が手に入るわ。更にインターネットで擬似恋愛も楽しめれば、エッチな画像もダウンロードし放題。銀紙の張られた自販機は姿を消したわよね。
コンビニとインターネットの出現でアタシ達の生活は飛躍的に便利になったけれど、大衆レベルで言えば、ちょっとした食欲や性欲を満たすことに一番貢献しているように感じるのはアタシだけ?
そう、知らず知らずのうちにアタシ達は“我慢”が出来なくなったというか“待てなくなった”んじゃないかしら?
恋愛中のメールは一日返事が無いだけでイライラするわよね?またまた歌の引用だけど、郷ひろみの歌の一節に“会えない時間が愛そだてるのさ・・・”ってのが有るわよね?(相変わらず昭和なアタシ)
あまりの即答はなんだか“嘘っぽい”感じもするし、“待つ”という時間の“ため”も必要なのよ。
待ち合わせ場所で“まだかな?”と時計ばかり気にしている人をみると、なんだかものすごく人間らしさを感じるの。じっくり待つ人、イライラする人、本性が表れるわよね。
“待つ”という時間は心を鍛える時間なのかもね。
“欲を持て”だの“待て”だのと、ややこしくなってきたけれど、私利私欲に走って抑制が効かなくなれば罪人にも廃人にもなることを、様々な事件が教えてくれているわよね。
背伸びをして見えた世界が汚れていたか、支えてくれる人がいなかったか、自分ひとりの力で背が伸びたのだと驕ったか、何れかでしょうね。容易に手に入るようになれば“待てなく”なるものよ。
上手に背を伸ばすには、理性、品性という性質、そして人への思いやり、愛情が伴わなければね・・・ウフ、お気づきかしら?「りっしん偏」の文字が続いたことを。
一話で語った快楽の「快」の字も、「欲」も旧字では「慾」と心が付いているわ。
ここ“性シュン2丁目”の「性」の字をよく御覧になって。「心」と「生」・・・アタシ達はみな心ある生(ナマじゃないわよ)を持っているのです。そして、同じく快楽を求め、慾を持っています。そしてアタシ達の生には限りが有るわ。
アタシは10月始まりのスケジュール帳を買ったんだけど、最初にしたのは知っている限りの友人の誕生日のチェック!素直に出会えてよかったと一言伝えたいし、アタシの時もそうして欲しいしね。そして、いつごろ忘年会しようか?牡蠣鍋がいいかな?とか、来年こそは彼氏見つけようとか、ジム行ってお腹引っ込めようとか、あれこれ考えてるわ。
そう、アタシは欲張りでエッチなの!!・・・あなたと一緒でねっ。
背伸びをしなければ背は伸びない ~おしまい~